興味のあることばっかり書いていても面白くないので、たまにはそうでないことを書きます。
今日は都内のスタジオで写真撮影があり、合間の休憩時間に、ぼくはいつも持ち歩いているペンタックスでそこら中のものを写真に収めていました。撮影スタジオというのは自然光の入り方がほんとにきれいで、コーヒーカップとか、紙の上のチョコレートなんかの何でもないものが、たちまち良い被写体に見えてくるものですね。他にも馬の置物とか、マリア像とか、顔に跡がつきそうな格好でスリープ状態に入っている松本素生を撮ったりしました(ちなみに再起動後、ほんとに跡がついてました・・・)。今回の写真はその中の一枚で、これはギターをつまびく石原聡の手元です。撮っているときは無意識でしたが、あとになって「あれ、なんでこれ撮ろうと思ったんだろう」とよく考えてみたら、ぼくのアンテナはこの「指輪」に反応していたのでした。
「愛の反対は無関心」と言ったのはマザー・テレサですが、この「愛」をもっと平たく、好きなもの、興味のあるものと言い換えることもできると思います。「嫌い」までいってしまうと、それはもう興味のうちなんですね。
物珍しさに近い気持ちで撮ってみたこの写真を見るにつけ、ぼくは自分がいかに指輪というものに興味がないかを知りました。だんだん興味が生まれてきたもの、反対に今ではもう興味がなくなってしまったもの、多くの人がそうであるように、ぼくにもやっぱりそういったものがいくつもあります。でも今まで一貫してまったく関心をもったことがないもの、それは指輪なのです。
でも片や指輪作りに情熱を注いでいる職人さんもたくさんいるわけで、そう考えると世の中面白いなあ。世界には決して交わらない線というものがたくさんあって、それでも、世界は一枚の織物なのだ。