当ウェブログのシステムに不具合があった旨、携帯サイトを通じてお知らせしておりましたが、このたび無事復旧の運びとなりまして、えー、不肖河野丈洋、ここに舞い戻ってまいりました。いやいや、3倍がんばると言っておきながら、すまんこってす。盛岡の「いしがきミュージックフェス」の模様など、帰京してすぐさまアップするつもりだったのですけれども・・・時すでに遅し? うーん、でも写真撮ったりしたし、盛岡は個人的にとても好きな街でもあるので、少し書いておこうと思います。
この日の盛岡は、雨だった東京とは打って変わった晴天、否が応にも熱気のたまるステージ内からは炎天とも感じられる上天気でした。その熱気のせいでキーボード内のプログラムが暴走するというトラブルにも見舞われましたが、われわれとしては、良いパフォーマンスができたのではないかと思っております。野外のライブはやっぱりいいものですね。写真は出演者用に設けられたテントからステージを望んだもの。ここに流れてくるステージの音は風の影響を大きく受けているため、右に左にゆらゆらと揺れていました。ぼくは自分のステージが終わったあと、少しここで休んで牡蠣とか帆立なんかを食べていたんですけども、せっかく来たのだからということで、ステージ近くまで行ってライブを観てきました。そのとき観た「左比内金山太鼓」、これがとっても良かった。
同時に演奏されるいくつかの異なったリズムのことを複合リズム、またはポリリズムといいますが、こういったものは古くから世界的に存在します。たくさんの和太鼓からなるこの左比内金山太鼓にも、ルーツにはきっとそういう、古来から連綿と続くソウルがあるのだろうな。
観ていてぼくがいちばん面白いと思ったのは、間のとり方というか、「いき」の合わせ方が独特だということです。ケルティックでもラテンでもアフリカンでも、演奏の中のブレイク(小休止)に「聴こえないビート」が感じられるものです。なにも音がない部分だけども、演奏者の意識の中では、それはしっかり流れて続いていて、聴いている人にもそれは感じられるのです。けれども日本の「いき」はそういうものではない。ブレイクがある一瞬、ほんとうに音楽がぴしっとなくなってしまいます。そして「はっ!」という、文字通りの息によって、炎のような音がさらに勢いを増す。「息」は「粋」なのですね。
そういえば15年くらい昔、九鬼周造という人が書いた『いきの構造』という本を勧められて読んでみようとしたことがあったのですが、そのころのぼくには難しそうな内容に思われたので、ろくに読まないまま本棚の肥になっていました。いま読んだら面白いかなあ。読んでみよっかなあ。
河野さんおはようございます。復旧おめでとうございます。「よくぞ戻られた…勇者河野よ!」後2ヵ月はパソコンの機嫌が直らないんじゃないかと思いましたよ(笑) 冗談はさておきこれからも河野さんの「3」の意気込みに身を委ねながら、恐縮ですが拝見させてもらいます。
しかしバッドタイミング…。(故障にグッドもありませんが)泣きたくなります。「そこまでオイラの事が嫌いか!?」って卑屈になりながら肩をがっくり落としちゃいます。 でもとても好きなんだからしょうがないですね(笑) パソコンの"時"は止まっていたので、行っちゃいましょう!イェーイ☆
そんなフェス日和に野外をやれて良かったですね。でもパフォーマンスが…(笑)熱気によりハプニングは承知の上ですから、寧ろあった方が良いかも知れませんね…(`ー゚)b
自分も一度は野外を体験してみたいものです。人生はもう既に限られているわけですから、早いうちに味わっておきたいです。じゃないと途中で……。
そんなに揺れていましたか。聴いてみたかったです。
良いタイミングですね(笑)自分は一度も聴いた事は無いのですが、太鼓の重低音は何故か落ち着くので好きです。神社で流れている雅楽もポリリズムですかね?
でも昔から続いている音楽は訳も分からず好きです。 何か分かります。太鼓の魔力でしょうか。一瞬の静けさは本当に音に吸い込まれると言いますか…引き付けられる?感じがします。河野さんの「粋」にはちょっと感動しました。こんなに和太鼓は深いんですね。これは目を閉じて聴くべき音楽ですね。15年前は河野さんが中3くらいの時ですね(若っ)。勧めた人はかなりの読者家ですね。いまならその本の良さや面白さが分かりますよ。「いき」が更に素敵に感じられるのではないでしょうか。
投稿情報: つぶきち | 2008年7 月 5日 (土) 09:54
丈さん、こんばんは。
復旧、おめでとうございます。
うれしいです。とても。
更新されないその理由を携帯サイトで知る前は、
よっぽど、その後おいしいうどんにめぐり合ってないんだなあ、と思ってました。
でも、だんだん、更新がなくてもまあしょうがないと
気が長くなってきたような気がします。
さて、ずいぶん昔の話。
私は、多摩川の川原で
バーベキューをしたことがあります。
結構な人数で、おなかいっぱいになった後は
最初はギターやらキーボードやら、
みんなでいろんな曲を演奏してたんだけど
(私は聴くだけだったけど)、
日が落ちて暗くなってきたら、なぜか、
最後はみんな自分の手で
リズムだけならすようになってきたのです。
燃えるたき火を前に、そのドンドコという音を
ずっと継続して聞いてるうちに
フッと違う世界にいきそうになりました。
トランスする、ってこんな感じ?
不思議な体験でした。すごく覚えています。
それまではメロディの世界が好きだったけど、
リズムの世界も奥が深いな、って
ちょっと思いました。
自分がまだ生まれる前から
好き嫌いに関係なく
生物として持ってる本能ー。
これからの時代、大事なような気がします。
では。
投稿情報: 真理子 | 2008年7 月 3日 (木) 22:38
やあ丈さん。いちはやく夏を呼吸されたようでなによりです。自分もどのフェスかは忘れたけど丈さんのいう、地上で音が左右にゆれる感覚は経験したことあってわかります。ただ、風によるものとまではわからなかったよ。それは古くからずっとあったのかもしれませんね。
地面の勾配によってもたらされるものかと思った。
ドラムスが2人いるとポリリズムだと思ってたけど、丈さんの観たステージは何人もいるんだね。そこがイメージを大いにかき立てられます。
マンボを思い出しました。ん、あれはブレイクになりますね
投稿情報: チャア | 2008年7 月 3日 (木) 21:32
丈さん、こんばんは。先日のいしがきフェスでは、最高のステージをありがとうございました。
・・・しかし、本当に暑かったですね!思えば、GOINGが盛岡にいらっしゃるのは「11月中旬だというのに雪が降った」
とか、この間みたいに「6月なのにありえないほど真夏日」という変わった天気の日にあたっているような気がします。
次回、GOINGはどんな天気を盛岡につれてくるのでしょうか?楽しみです。
そういえば、次の日の地元紙「岩手日報」に、GOINGのステージの写真が掲載されてました。
いつも読んでいる新聞にGOINGが載っているのが嬉しかったです。
ちなみに半裸で吠える洋一さんがバッチリ写ってましたよ!
「トワイライト」で素生さんが「ああそうか・・岩手・・僕の街だ!」
と歌ってくださったのは、一生の思い出です。
また、盛岡へいらしてください。お待ちしています。
投稿情報: ざしきわらし | 2008年7 月 3日 (木) 21:07
おはようございます。
久しぶりの更新、無事できてよかったですね。松山以降、音沙汰がないからおや?とは思ってましたが。
盛岡の野外フェス、よかったみたいですね!
和太鼓のことは詳しく知りませんが、お祭りなどで聞くと「血が騒ぐ」感じがします。
「息」はやはり生で聞くからこそ、より強く感じられるものかなとも。
週末のツアーファイナルでも「いき」を感じられるライブになるといいですね!
巷では風邪が流行っているそうなので(私もまんまとはまった一人です…)気をつけて下さい。
ではまた〜
投稿情報: 金ゴン | 2008年7 月 3日 (木) 05:25