同級生が表参道のアパレルで働いているので、顔見がてら時々そこに服を買いにいくのだけど、そこで買ったもののひとつにスキニージーンズがある。これは!と強く勧められたのに気をよくして買ったのだったが、じつをいうと、あんまり穿いていなかった・・・。なぜかというと、ただでさえ竹みたいに細い脚が、これを穿くとさらに人目をひく細さになるからです。タクシーをつかまえて乗ったら運転手に、いやー、お兄ちゃん脚ほそいねえ、と言われ、バスに乗ればおばあさんに、まあー、と嘆息されるので(もちろん脚を見ながら)そういうのがなんか、ちょっと、いやだった。すごく似合う、と言われればまあ悪い気はしないのだけど、でも僕は自分の細い脚が別に好きではないんだよな。
そのスキニーを、久しぶりに穿いてみた。やっぱり、いやあー、どうしたこの脚、と思った。でも気まぐれでそのまま出かけてみたら、ふっと「まあでも、いいんじゃねえか」と思えてしまった。だってこれが自分の脚だからね。ありのままの。いっときはカーゴパンツばっかり穿いてその細さを隠そうとしたこともあったけど、なんだかそういう行為が突然空しく、意味も価値もないことのように思えたのだった。
音楽をつくって発表する、ということにおいてもそうなのだけど、どんなに自分で満足のいくものをつくってみても、それを貶す人はいるし、嗤う人もいる。それはその作品の価値がどうであれ、必ず存在する絶対的な事象なのだと思う。だったら、ありのままの自分を見せて嗤われた方が、僕としてはずっと楽だ。楽って言っちゃうと誤解もありそうだけど・・・そう思うことでいろんなことがクリアになっていくには違いないわけで、自分なりのできるだけまっとうな気持ちで世界を歩かないと、極端な話、人間、駄目になるんじゃないか。スキニーを受容してみて、なんかそういうことも思ったなあ。考えすぎかな。
そう、あと大阪でソロ曲を歌ってみて、ひとつわかったことがある。資質とか才能以前に、僕の中には何か音楽が流れている。そしてバンドをやるということは僕にとって、その源水を使うことではなかった。
僕は今年見せようと思う。自分の細い脚と、かすかに毛の生えた細い腕を、音楽として。僕はもう無意識に自分を欺くようなことはしたくない。本当にやりたいと思ったことだけを、ただやりたい。