ぼくは去年から今年にかけて「愛」ということについて、言葉や音楽で触れてくることが多かったように思います。ぼくはたぶん、この年齢になってやっと、「愛」という言葉を頭で理解するだけでなく、体験としてしっかり捉えることができてきたのかもしれません。自分が本当に愛しているものに対して「愛している」と言うこと、それについてぼくは今、何のためらいもありません。反対に、そうでないものに対して中途半端にそんなことを言うことは、この先ないでしょう。これまでの体験が、ぼくにその判断力を与えてくれたのです。
そんな心持ちの中、ふと「ぼくはこの国を愛しているのだろうか」という疑問を抱きました。正直に言って、ぼくは未だかつて「愛国心」というものを感じたことがありません。これまでの短い生涯を通じて、一度もないのです。家族も、学校も、友達も、何もかもが「愛国心」とは無関係な基盤の上に成り立っていたようでした。誰も教えてはくれなかったし、話題にもしなかった。その中で生きてきたぼくも、その概念をなんだか「外国のもの」みたいな感じで受けとめていたのです。でも、今ぼくはそれを思い返してみて、ずいぶん奇妙なことだと思います。
思うに「愛国心」と口に出して「ウヨクだ」とか言われるような時代は、とっくに終わっています。それからぼくは音楽家のはしくれとして、純粋に「君が代」を美しい曲だと感じます。中国でも韓国でもない、唯一無二の「日本」が感じられるのです。
まあ、これについては色々デリケートな問題もありますけど。でも今の日本人に愛国心がないのは、結局、誰も「愛」を知らないからなんじゃないか、という気がするのです。別に、ぼくが誰よりも知っているという意味じゃないですよ。ただ、平凡に生活をしているだけでは誰も教えてくれない、話題にもしない、そういう状況の中で、誰もが愛について「自分から意識的に気づいていくしかない」のだとしたら、これはけっこう不幸なことなんじゃないかという気がするのです。結婚とか出産に伴うものなら、人間であれば誰でも「愛」を実感しますけれども。でも、そのずっと前から、そしてそのずっと後までも、当たり前に「愛」を口に出すような人は、この国にはあまりいない。
「愛国心」って結局、家族とか友達に対してはっきりと愛を感じること、それと同じことですよね?ニャンコ先生。
丈さん、こんばんは。はじめてコメントを書かせて頂きます。
かなり日にちが経ってしまっていますが、この内容に何も書かずにいることはできなくて。なんかいろいろ考えてしまって、それを伝えたくて。
私は「愛」というのは、無条件で相手に感謝して、相手の幸せを願う事だと思います。
「信じた嘘があっても、最後に何が残っても」と丈さんが伝えてくれたように。
この気持ちを友達、家族に対して持つ事はできると思います。でも、この国に生きる全ての人、存在する全てのもの、ことに対して、持つ事ってできますか?
難しそうな感じがしますよね。
でも、例えばライブが終わったとき、そのライブに関わった全ての人に対して、
皆のおかげで素晴らしい時間を過ごせた、ありがとう!って思いますよね。BBSでそういうコメントをよく見ます。それって、全く知らない人に対して、愛を出せたということですよね。
そう考えると、その気持ちをもうちょっと広げて、この国の全てを愛することってそんなに難しくないのではないかという気がするんです。
だってこの国の歴史とか文化とか人とか、難しい政治とか法律、システムなんかも、良いことも悪いことも全部ひっくるめてそれらがあるおかげで、今の自分があるのだから。
どんなに小さなことで自分に全く関わりがないと思うことでも、どこかで必ず繋がってると思うので、そう思えばその全てに感謝せずにはいられないですよね。勿論、全てを手放しで肯定するのではなく、良くないことは良くないと愛を持って抗議することは必要だと思いますが。
つまり、こういう気持ちが愛国心だと私は思うんです。
たまにでも、こういう全てに感謝する気持ちを思い出すようにしていれば、自分の中で
愛国心と呼べるような気持ちが膨らんでいくのではないでしょうか。
なーんか、偉そうなこと書いてしまいました(汗)でも、ほんとにそう思った
ので。長文、大変失礼致しました。
投稿情報: すいか娘 | 2006年7 月17日 (月) 02:21
おはようございます。
かなり出遅れてしまいましたが、あくまでマイペースにかきこみさせていただきます(笑)
「愛について」というタイトルを見た時、正直びっくりしました。武道館ライブが終わってから自然と「愛について」自分の中でもやもや考えていたからです。
30数年生きてきた中で、たぶん初めての事です。
言葉や口に出すとなんだか気恥ずかしいのは、いままできちんと考えていなかったからだな〜と。
もやもやが少し形になってきました。
丈さんの言う愛国心まで大きな愛には正直いきませんでした。
例えば世界から戦争や争いがなくなればいいのにとは思います。
でも現実はどこかの国で争いは起こっているし今までの歴史を考えるとゼロになることはないと。
それでも平和を願う時、私は身近な人の事を考えるのです。
「私の大好きな人たちが幸せであるように」
大好きな人が疲れていたら励ましてあげたいし、困っていたら助けてあげたい。実際何もしてあげられない事も多々ありますが。
もしそんな気持ちを愛国心というなら、私にもあるのかもしれないです。
私が考えた「愛について」。
愛の力は何にも勝る。よくも悪くもですが。
こんなに愛という言葉を使ったのは初めてですよ〜どきどき
ではまた
投稿情報: 金ゴン | 2006年7 月16日 (日) 10:10
愛について ってすごいタイトルですね。漠然としてるというか。
ただ日本人て愛 って言葉自体あまり使う機会がないですよね。愛する気持ちはあるけれど、愛してるよなんて恥ずかしくて、どうにも口に出していうのは・・・。きっと私は死ぬ間際かもしれません。
でもおそらく言っちゃったほうがきっと心が開けるし、相手からも優しい空気が流れるでしょう。分かっているけれどジレンマが・・・。
武道館でジョーさんが発した愛を私もその場所で聞いてかみ締めたかったです。とっても残念。。。
投稿情報: きらら | 2006年7 月13日 (木) 21:57
にゃんこだ、にゃんこ。しかもここはこの間行ってきたところだー。
やはり、飼い猫のいないにゃんこ好きの集うところは同じなのでしょうか…。
愛国心って重い、ですよ。そして大きい。
「あの人を愛している」は1。
「この国を愛している」は無限。
文化、歴史、政治、風土、そして人を愛することではないかと私は思います。
…私はそこまで心広くないなぁ…。
そう考えると本当の愛国心を持っている人って、悟りを拓いた人?
でも私は日本好きですよ。ここに生まれ育って幸せです。
文化、風土が好き。節句の食べ物や習慣、着物、しぐさ…。守り、愛すべきものだと思う。
君が代は私も好きです。歌詞の意味にはもはや現代人は共感しないだろうけど。
君が代は主旋律だけじゃなく、全ての和音及びメロディ進行を聴けば聴くほど美しい、と何度も演奏してきた私は思います。他国の国歌も数える程度しか聴いていませんが、これほど荘厳な国歌は聴いたことがない。
だけどそれは私が日本人だから感じることでしょうかね?
投稿情報: 藍子 | 2006年7 月13日 (木) 00:00
丈さん、こんばんは。ブログを拝見して、今日一日「愛(愛国心)」について考えてみました。
「日本人に愛国心がないのは、誰も愛を知らないからなんじゃないか」とありましたが、私たちが日々の生活の中で、「愛って何だろう?」と考えることすらなくなったのではないかと思いました。
これだけ物が溢れ、愛について考える機会はいくらでもあるはずなのに、特別なことがない限り、また意識しない限り愛に気づくことができないというのは、確かに不幸なことでしょうね。
逆に、ライブのように、意識しなくても、一人一人が大きな愛を感じ、愛に気づくことができることは、本当に素晴らしいことで、そういった大きな経験ができることを嬉しくも思いました。
愛の形はそれぞれだと思います。でもいろいろな人が思い描く愛が最終的に行き着く、共通した何か大きなものがあるようにも思います。(それが本当の愛なんでしょうか?)
そうしてみると、世間でよく耳にする「愛国心」という言葉の中の「愛」の意味がどうにも深い愛ととらえられず、ある側面のみを指しているにすぎない気がします。
長くなったわりに、考えがまとまらず、すみません。
写真のニャンコ先生は、ホントさらりと愛の本質を言い当てそうな感じがしますね(笑)
では、失礼します。
投稿情報: ちか | 2006年7 月12日 (水) 23:41
私は日本を愛していると思う。
それを「愛国心」といわれると、何かイヤな感じがする。
家族や友人を愛する、愛しいと思う気持ちは、心の一番奥底にひたひたと絶えず流れているものだと思う。意識しなくてもそれはあるもので、日本を難しく考えず純粋に思ったら、同じものかもしれない。
武道館、しあわせな空間でした!
投稿情報: とも | 2006年7 月12日 (水) 21:45
にゃんこだー!!と写真にとびつき喜び勇んで読ませていただいたら、ふかい、ふかいお話でした(笑)
旅行に行ったり、歴史を振り返ってみたりして「この国が好きだな」と思うことは、たぶん誰しも少しはあるんだろうと思います。
愛まではいかないけれど、『好国心』くらいの感情とでも言うのでしょうか。りんごが好き、みかんが好きというのと同じような。
でも、愛となるとやっぱり、一歩ひいてしまいます。
重く、重大なことと感じてしまうのです。一世一代の大勝負という意気込みで挑む必要はないと思うのですが、でも、どうしても「愛」が重い。
これは、愛をわかってあげていないからなんでしょうか。
むずかしいです。
投稿情報: しの | 2006年7 月12日 (水) 20:46
支離滅裂なコメントしてしまってすみませんでした。汗。
お酒って、スゴイ。コワイ。
「愛国心」、私はこの言葉に何だかピンとこないです。
だけど、日本の四季や言葉は素晴らしいと思うし愛しているし。
考えれば考えるほど、何だかわからなくなってゆくのは
多分私が日本人だから???
アレ???やっぱり何か違う。
いやー、わかりませんな。
投稿情報: 奈津 | 2006年7 月12日 (水) 17:19
私は、「国」という言葉から、その中にあるものが、感じ取れない。
今座ってるパソコンの前という場所だとか、いつも会ってるみんなだとか、いつも話してる言葉だとか、憎たらしい奴だとか、その・・・
そういった温度がどうしても伝わらない。
政治的な「国」とか、地理的な「国」。境目。
とても無機質な感じがするんだ。
そう思うとだ。
「国」は「箱」でしかない気がしてしまうんだ。
「箱」を愛すのは難しい。
そう思うんだ。
この箱の中に入ってる感じが、もう少し取り除かれるような、
いい言葉はないかなぁ。
投稿情報: ヤマグチ | 2006年7 月12日 (水) 15:51
丈さん、おはようございます、こんな時間ですけれども、私は、ただいまなのです。
酔っ払っていますが、素通りできないし、私はコンピューターに、めっきり弱いし、ここ何回か、なげっぱなしで申し訳ないのですが…
私は、「愛している」と、言葉でも気持ちでも言うに、表現するに、ためらってばかりでした。
丈さんは「いつまでたっても」で、それを言葉にしてくださいました。
とっても、死ぬほど、嬉しいのです。
私は、何となく、分かるのです。
実感しているくせに。
考えすぎて。
照れてしまって。
見下されたくなくて。
感じた事が全てだよ、と受けとめていてさえも、言葉とは、なんて・・・
とか、何だかんだ、
関係ないのです。
私は、言えます。
「5年ぶりの大雪」
です。
だけども、愛してるのです。
一方通行に、言って、皆が見れるのに、すみません。
今週の金曜、「明日の神話」を見に行きます。
投稿情報: 奈津 | 2006年7 月12日 (水) 08:13
丈さん、おはようございます。
「国」という漠然としたものを愛する気持ち・・・
それは私にもよくわかりません。
同時期に同じ国で生きる人、として言葉を交わした事もない人の
ことを見つめ、ふいに考えることはあります。
電車の椅子に腰掛けているときなど、「おそらく この人たちにも
私と同じように家族がいて、友達がいて、大切なこともあって。
みんなどこからきて、どこへ行くのだろう」というようなことを。
でも、それは小さな仲間意識のようなものであって、愛という
ほどの感情ではありません。
愛とは何か。今の私に言えるのは「その対象が何であれ、
ただそこにある(いる)だけで ありがとうと感じる気持ち」です。
投稿情報: moe | 2006年7 月12日 (水) 06:48